「いやはや、一時はどうなるかと思ったな!」
「元はと言えば其方のせいだぞ。勝手に亡者の行き先を判断して。
ちゃんと十人で会議しないからそうなるんだ。」
「すまぬ。始末書は書いた。」
「無炉の動力源を確保したのだから不幸中の幸いだろう!?
まったく其方らは口先ばっか、いつもシフト外に呼び出すとうるさいくせに……」
「何だと?
こちらも老朽対応とか現世巡回とかいろいろ忙しいのだ。
何のために十人いると思ってるんだ。」
「始末書を書けば済むと思ってるシソウヤマの名折れ。」
「喧嘩するな。此度の件は、我ら全員の不徳。
早急に施設を建て直さねばならぬ。」
「無炉は大丈夫なのか?
クダメ泥を仏に変えるにあたって、亡者タイマの存在は障害であったはず。」
「問題ない。
亡者タイマは灰と化した。『仏の炎』が、かの意を焼き尽くした。」
「まずは七重の塔の再建だろう。
これがとにかく大変だからな。」
「其方のせいでな。」
「むっ」
「喧嘩するな。」
「……少し思ったのだが、人数が多すぎて纏まらぬのではないか?我ら。」
「誰が何の話をしているのか全くわからぬしな……」
「浄玻璃鏡で区別はつくだろう?」
「区別はついてもごちゃごちゃなんだよなあ……」
「つべこべ言わずに協議を進めるぞ。
まずは――」
新たな動力源を手に入れた無炉は、一際明るく燃え盛っていました。
酷い有様だった地獄の施設も、徐々に復興の兆しを見せています。
毒蛇の盆踊りと、亡者の悲痛な囃子を聞きながら、獄卒たちは胸を撫で下ろします。
タイマの兄・別部はこの日、無炉の前に現れました。
煌々と燃える炎をじっと見つめます。
「のうタイマ。
やっと、
やっと、
くたばったとは。
わしの手で斬り損ねたのが惜しい。
惜しい。
惜しいなァ……ハハハ。
願いは、呪いは、忘れたか?
忘れたじゃろうな。
無炉はそんな根深きものを終わらせるための最後の機巧……」
炎は物言わず。
それでもおかまいなしに続けます。
「まったく、銭田。なんと穏やかな炎よ。
苦しみを纏い、喰らい続けた者がこうも裏返るのであれば、紛れもなく救いじゃろうて。
良かったじゃあないか……弟共。
これにて、業縁は終わりじゃ。」
炎はちらちらと揺れました。
別部はそれを鋭い瞳で見下ろします。
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………」
やがて何か耐えられなくなったように、肩を震わせて。
目を細め、口角を吊り上げながら、何やら通信機のようなものを取り出しました。
「くっ……ハハハハ!
こちらセキュリティ班!!
あ?いや、何も?
ところで無炉の"排気口"なんじゃが……ここもだいぶ古くなっておるのう!
うっかり詰まりでもしたら、現世に生命が行き届かなくなっちまうし、そろそろ替え時よ。」
これ見よがしに、大声で。
通信を切ると共に大笑いすると、颯爽と踵を返しました。
やけに軽やかな足取りでした。
見送る炎は、ちかちか、ちかちかと……
否、それは"星"でした。
(――排気口。)
炎の中の星は、ちらりと周りの様子を確かめました。
あるのは物言わぬ仏の炎と、硬く透き通った壁のみ。
(それが、“出口”か。)
ちりん、と微かに鈴の音がして。
星はぼんやりと、遠ざかっていく別部の後ろ姿に視線を移します。
その背はひとつも振り返ることなく、見えなくなろうとしています。
星の周囲が弾けて、火花が透き通った壁にぶつかりました。
「にいちゃんっ!」
去り行く背中は、止まらずに。
「にいちゃん、わしはまだまだ生きるぞ!
おぬしの切っ先から逃れ、己が道を描き続けてやる!
だから……だから」
やはり後ろ姿は止まりません。
星は言葉を呑んで、何と言えば良いのかわからなくなりました。
もう、振り返ることはないのでしょう。
その背は見えなくなる寸前……
片手だけを挙げるのでした。
「……じゃあな、タスケにいちゃん。
二度と会うこともなかろう。」
また星の周囲が弾けて、静かに火花が散りました。
もう、周囲には誰もいません。静かに無炉だけが燃えています。
「……行くか。
思い出してもらわんとな。この炎の意味を。」
やがて星は徐々に上へ、上へと。
炎は撒き散らされた羽毛のように巻き上がります。
そして、一本の影が光を引き裂きました。
連綿と続く茶色い糸が編み込まれた長い布地。
茶色いマフラーです。
すらりと伸びた炎がマフラーを中心に人型を成します。胴の下だけが白い羽毛で覆われ、膨れた尻尾を揺らします。
透き通ったドームの中央に、堂々と立ちました。
「遠からん者は音にも聞け!近くば寄って目にも見よ!!
「わしはかつて不死を望み、地獄を脱した咎の者!
霊峰イヅカより出し悪霊、タイマである!
首落つれども星は落ちず、今なお天に潜む物なり。
仏の炎、何するものぞ。
累々たる恨みに勝るもの無しッ!!!」
誰もいない無炉に、甲高い叫びが響き渡りました。
誰も答えない代わりに、無炉の炎が渦巻きます。
青い稲光は瞬き、轟音けたたましく、忘れ去られた灼熱が呼び覚まされます。
透き通った壁はびくともしません。
無炉は傷つきません。
とある一点を除いては。
排気口です。
無炉の壁で唯一黒光りして、透き通っていない箇所。
ぽっかりと穴が空いて、申し訳程度に網で覆われています。
穴の先は暗雲のように陰り、空気がどんどん吸い込まれているようです。
穴を塞ぐ網が青く光ったと思えば、真っ二つに焼け落ちました。
その先に何があるのかはわかりません。
ですが、躊躇うことはありません。
「ここまで来たんじゃ。
いきあたりばったりじゃがトライアンドエラーよ!
何でも試してみるもんじゃ!
なあ!」
「"俺たち"の炎の矛先は、定まったぞ!!」
光焔は、脆く歪んだ排気口へと——
(正直なところ……
今、なぜわしがここにいるのかよくわからなかった。
いくらアオイにいちゃんの炎を受け取り、恨み辛みを積み上げたとて、限界はあろうと。
じゃが、なんとなく合点が行った。
ここにわしの知らぬ感情が幾つもある。締め付けるような痛みが胸を叩いておる。
もしか、にいちゃんが仏となったとき、わしは一度本当に燃え尽きたのかもしれぬ。
いや、きっとそう。そうでなければこの企みはシソウヤマに悟られる。無炉に行き着けたかも怪しい。
にいちゃんが、全てを折り込み済みだったかはわからぬ。とんでもない無鉄砲かもしれぬ。
じゃが、無念、後悔、未練、そして祈りを積み上げるのは我ら兄弟だけではない。
罪を禊いだ亡者、無炉の炎と化した仏、この場に舞い降りる全ての器が、かつて降り積もらせた塵を纏う。
苦いも甘いも、憎み愛せど、全てが幸福に終わるこの地にて……
"俺たち"はせめて、一矢報いようと。)
ここは、霊峰イヅカ。
相変わらず頂きは閑散として、雲間からは吹雪が飛んできます。
小さな祠の前には、守護竜と、獅子神の姿がありました。
獅子神の姿は、心なしかいつもより小さく見えます。
「ははあ……大変でしたね。
無炉の排気口を起点に、地獄に風穴を開けられたと。」
「大した災禍であった……
亡者タイマには逃げられるし、無炉も無間地獄も散々な有様である。」
「復興支援はいたしますよ。
流星の後仕舞いこそ、我が本懐ですので。」
「恩にきる。
予て無間地獄は老朽問題と隣り合わせであったのが怪我の功名だろう。
再建と共に、一層改良を図る。」
「ときに、守護竜よ。
此度、流星を寄越したのは……それら地獄の実情を知ってのことか?」
「はて、何のことでしょうか?
流星の軌道に因果はあれど、目的はありません。
私はただ、その道に従ったまで。」
シソウヤマが去り、吹雪はさらに強くなりました。
守護竜はひとり、灰色の空を眺めます。
雲を裂くように、青白い光がひとつ。
何処へ去りゆくほうき星です。
幾つもの意を束ねた一柱。
光の塵がきらきらと、別れを惜しむように尾を引きます。
守護竜が羽毛で膨れた尻尾をゆったり揺らすと、ほうき星は一際輝きました。
やがて、その光も溶けるように雲の向こうに消えます。
守護竜はひとつくしゃみをして、のそりのそりと天へ帰るのでした。