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苦溜の泥

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挿絵:空は赤黒く、黒色と空色の墨流し模様(マーブル模様)が海のように広がっている。水平線の向こうには傾いた塔と思しき影が見える。

銭田が賽の河原から去った後、地獄は大騒ぎでした。
無間地獄に大きな泥の塊が落ちてきたというのです。

亡者たちはもちろん、責め苦を担う毒蛇の大群も、中央に聳える七重の塔も、剣だらけの林も、みんな泥の下敷きになってしまいました。
しかも泥は毒に塗れ、亡者たちは悲鳴をあげることも叶わず、踠き続けています。

特に大騒ぎなのは、獄卒たちです。

顔アイコン:慌てる赤鬼の獄卒

なぜシソウヤマ様はあんな怪物を無間地獄に!?」

顔アイコン:大雀の獄卒

シソウヤマ様は真実を見ることができるお方だ。
何か考えがあるに違いない!」

獄卒たちが喚いていると、地獄中を鋭いハウリング音が引き裂きました。
どこからともなく放送が流れます。

アイコン:放送用スピーカー

あー、あー、無間地獄の獄卒共!こちら、セキュリティ班!

仮称"クダメ泥"を食い止めるため、四門を緊急施錠した。
門外の獄卒共は、小地獄へ。
閉じ込められた獄卒共は、”無炉”の周りだけは安全じゃから、各々目指すように。

どうやら、クダメ泥は苦悩を無尽蔵に吸収して肥大するバケモンらしい。
亡者共が溺れとるせいか、今も量を増し続けておるから注意しな。

この後は、シソウヤマの指揮で焼却される手筈じゃ。
終わるまで各々耐え抜くように!

以上!』

大爆音は泥の上を漂うタイマの耳にも届きます。

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

無間地獄?焼却!?
何でいきなりとんでもないことになっとるんじゃ!?

……アオイにいちゃん!!
アオイにいちゃんじゃろ!?」

タイマは泥を見下ろしました。
兄の髪色と同じ、2色の墨流し模様が静かに揺れています。

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

にいちゃん!にいちゃん起きて!」

泥をべちべちと叩きますが、ちっとも波打ちません。

意を決して、泥に身を投げます。
泥は鈍い音を立てて跳ね、大きな魚のように小さな体を呑み込みました。

身体中に流れ込む苦痛の味。重くのしかかる迷いと憂い。
兄の名を何度も念じ、沈みゆく流れに身を委ねました。

 

挿絵:空には大きな幻日(気象現象)、地面には黄金の穂が地平線まで覆い尽くしている。畑の中心にぽつんと、幻日を見つめる銭田の後ろ姿がある。

 

今日は一段と眩しいな。」

銭田はひとり立ち尽くし、顔を上げます。

空は薄紫や橙のシルクを光に向かって放り投げたようで、横並ぶ3つの朝日が光の輪を作っています。
幻日と呼ばれる景色です。
朝焼けに照らされた黄金の穂が、地平線の先まで覆い尽くしています。

ああ……そうだ、もうじき収穫の季節だったっけ。」

風が耳をくすぐり、穂が波を立てます。
驚いた蛍が、辺りを飛び始めました。青白い光の粒が舞います。

あれからかれこれ、何年経ったか。」

記憶を辿れば、妻と過ごした日々が昨日のことのように思い出されます。
自然と笑顔が綻びます。

そう、聳孤におまじないをもらったな。」

一人でいる時は、常に田畑と向き合いました。
田畑にいると時々、妻に会えました。
そんな時は決まって同じ話をするのです。

長い旅路を、無事で終われますように』

光差す三つの日の元、旅の無事を祈れば別れ、その繰り返し。

旅の無事を祈り、
旅の無事を祈り、
何年も同じ言葉を繰り返しています。

いつまでも、新婚気分のような気がする。」

銭田は声をあげて笑いました。

ああ、ちょうどいいところに。」

穂の波の中、よく見知った後ろ姿を見つけました。

妻です。
あたたかい 乳白色の長い髪が、穂とともに揺れています。

たまには、少し驚かせてみようかな。」

ちっとも驚いてくれないことは知っていました。
なぜなら妻とは決まった話をするのですから。
旅の無事を祈るのですから。
それでも、その後ろ姿を見ているだけで心が爛々とするのでした。

風に紛れて忍び寄って、揺れる髪に手を伸ばして――

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

つかまえた!!」

顔アイコン:青白く光り、浮遊する子猫や子うさぎ

うぎゃわらーーー!?
なんじゃ、なんじゃ突然!!」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

ん?」

挿絵:画面いっぱいの、黒色と空色の墨流し模様(マーブル模様)。

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

あれ!?」

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

にいちゃん!その声はにいちゃんじゃな!?」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

あ、あれ……クウ?いや、タイ……マ?

今までここにいた聳孤はッ!?」

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

なに寝ぼけた事言っとるんじゃ!
まだまだ帰るために必死こいとる最中じゃろうが!」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

あ、

夢……?」

銭田の視界からは、幻日も、己の姿さえも、あっという間に消えてしまいました。
どこからともなく、声を響かせることしかできません。

そこはタイマが辿り着いた泥の底。ぽっかりとした空間が広がっています。
天井は高く、壁は広く、沼と同じく闇夜と晴天を掻き混ぜたような斑紋です。
壁がぼんやり光るおかげで真っ暗ではありませんが、空間全体が不気味に蠢いています。

見回せば、人や様々な動物が身を寄せ合って震えています。
ここは沈んだ亡者たちの避難場所なのでしょう。

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

なんじゃこりゃ……」

顔アイコン:真剣な顔のタイマ

それはわしがききたい。
一体何が起きたんじゃ、みんな無間地獄がどうとか騒いでおるが。」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

あ、それだ!無間地獄!

着いた?
堕ちてる途中で周りの様子が何も分からなくなっちゃってさ。」

顔アイコン:不安そうなタイマ

うーむ……」

タイマはかくかくしかじかと、クダメ泥に覆われた地獄の有様を語ります。
その瞬間、ズシンと重い音が響きました。

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

うわぁ、揺れとる揺れとる揺れとる!
にいちゃんが動揺したからか!?
落ち着け!外が、泥が、えらいことになるんじゃ!」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

いやいやいやいやいったい全体どういうこと!?」

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

今のにいちゃんの体は、ものすごーくでっかいってことじゃ!!」

天井よりも上、絵の具の中からざわざわと何かがきこえます。

それはだんだんと降りてきて、はっきりと人の声だとわかりました。
知らない男の声です。

声の主は、どぶんと天井を突き破って、我が物顔でタイマの横に着地しました。

顔アイコン:叫ぶ別部

こらおぬし、地獄が壊れるわ!」

茶髪を1つに括り上げ、束の先をマフラーのように首にひと巻きした男。
鮫のように尖った歯が覗いています。

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

誰!?」

男は腕を組み、少し首を捻ります。

顔アイコン:真剣な顔の別部

まあ、こう言うのがわかりやすいかのう。」

顔アイコン:薄ら笑顔の別部

獄卒の、別部わけべ
おぬしらの”兄”じゃ。」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

え。」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様

どうしよう、何もわかんない……」