挿絵:空には大きな幻日(気象現象)、地面には青白い花畑が地平線まで覆い尽くしている。

トップページに戻る

火群走らせ山水画

Scroll

 

タイマは泥の底を目指しました。

そこは以前よりも深く、以前よりも明るく、泥中なのに空がありました。
空は薄青や黄のシルクを光に向かって放り投げたようで、横並ぶ3つの朝日が光の輪を作っています。幻日と呼ばれる景色です。
底に広がる芝生の上で、白い花がきらきらと咲き誇っています。風に舞うように、青白い蛍が踊っています。

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

アオイにいちゃん!」

芝生に降りたつと、生暖かさが爪先から脳天まで駆け巡りました。
よく見れば、芝生や花は青白く揺れる炎です。蛍は巻き上がる火の粉です。空と幻日は、炎に照らされ煌々と輝く天井です。
慌てて足踏みしますが、火傷する気配はなく、ぬるま湯のような温もりがあります。

安穏な炎で描かれた欺瞞の園。
タイマは見回して、兄の声を探しました。

向こうに揺れるのは、白銀の鬣――

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

シソウヤマ!」

顔アイコン:目を瞑るシソウヤマ

おや、仏の『子』ではないか。其方も救いを求めてきたのか?」

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

ハア?おい、アオイにいちゃんはどうした!今すぐ返してもらおうか!」

顔アイコン:目を瞑るシソウヤマ

返すなどと、人聞きが悪い……」

少年と獅子神の横で、何かが蠢きました。
そして「騒々しい」と一言。

吐き気を催すような生ぬるい声。
重く硬い水音が、規則正しく這い寄ります。

挿絵:左手を差し出す謎の人型

顔アイコン:口元に柔らかい笑みを浮かべる仏

――――」

闇夜と晴天を混ぜ合わせた2色の人型。
粘性の身体はあちこち崩れ去って、青い炎が吹き出しています。
身体の芯から表に向かって花々が咲き誇り、一本の花束のようです。
白百合、白菊、白カーネーション……よく見れば、人型が歩いた跡にも白い花が綻んでいます。
白い花畑の中、崩れた双眸を覆うモミジアオイだけが、真っ黒に異彩を放っていました。

人型はタイマの姿を認めると、口元だけの柔い笑みを湛えます。

異質な空気に、タイマは思わず後退りします。

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

だっ……誰じゃおぬし!」

顔アイコン:口元だけ笑顔の仏

……"銭田葵"。
そう不安げな顔をせずとも、私はいつもどおりですよ、我が『子』。」

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

どこが!!??」

顔アイコン:目を瞑るシソウヤマ

驚くのも仕方はない。
彼方こそは仏の道を辿りし銭田、すなわち……」

顔アイコン:嬉しそうなシソウヤマ

仏田――ブッダ――なのだからな!」

顔アイコン:目を瞑り歯を食いしばるタイマ

おぬしは黙っておれ!!」

目の前の存在は、兄とは似ても似つかぬ姿をしています。
ですが、この泥中にいるということは、そうなのでしょう。

タイマは目を見開きました。
微かではありますが、兄弟としての繋がりを肌に感じます。
これは確かに兄であると、両の拳を握り締めます。

顔アイコン:怒るタイマ

そうか、おぬしがアオイにいちゃんか。
イカれた格好しおって!

なぁにが仏の道じゃ!
わしはこの目で見たぞ。この地獄の仏が仏に在らずということを!

涅槃など、みのりねえちゃんに会えるなど、全てそやつの方便じゃ!
自由などない!仏とは無炉!亡者の魂を浄化し、見送るための焼却炉!

見よ、今そこらじゅうで燃え盛る火がその証拠じゃ!
にいちゃんは今、この火となろうとしているのじゃ!」

人型は口元に笑みを湛えたまま、そしてようやく頷いて。

顔アイコン:口元に柔らかい笑みを浮かべる仏

知っています。」

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

えっ。」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様の左手

愛する者のもとに帰るため、解脱する。
それがそもそも破綻していた。」

アイコン:青白いスターチスの花

苦しみから逃れるには、愛する者から離れなければならない。
あらゆる苦しみから衆生を救うため、私は一刻も早く解脱せねばならない。」

アイコン:青白いキキョウの花

愛する者への執着は幾重にも、薪として降り積もる。
瞋恚の薪が枷となる。

もう、お分かりでしょう。

恐れ、憂い、悲しみ、あらゆる煩悩……
それらは愛する者から生じるのです。」

         に火を灯し 怒りを燃やし続け  
   炎に囚われ   

顔アイコン:口元だけ笑顔の仏

煩悩は積み上がる薪、全て焼き尽さねばならないのです。」

    燃え盛る火群   鎮めなけれ          

差し出す左手の、薬指には何もありませんでした。
約束を示す指輪が、どこにもありませんでした。

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

……………!

貴様ッそのような戯言を、受け入れたのか!!」

人型は笑みを崩さずに。

顔アイコン:怒るタイマ

それが、みのりねえちゃんへの裏切りだと知ってのことか!!」

顔アイコン:口元だけ笑顔の仏

棄恩の念、ひとつ道を志すにあたって必ず付き纏うもの。
裏切りといえば、そうでしょう。志すためには必要なこと。

ただ一時、ただ一人の悲しみで立ち止まるより、もっと多くの救いを求める事にこそ意義があるとは思いませんか?」

タイマは両の拳を握り締め、歯軋りします。

顔アイコン:口元に柔らかい笑みを浮かべる仏

どうかよくお考えください。

私が真っ先にかみさまのもとに向かうということは、地獄で苦しむ亡者を見捨てる事なのです。
それもまた、亡者たちへの裏切りだということを、忘れてはならないのです。

ゆえに私は、無炉となる。

何もかみさまを見捨てるとは言ってないのです。やがて巡り会うこともあるでしょう。
会えずとも、私が見送った誰かが、彼女に良き何かを与える日が来るかもしれない。

繰り返せば、繰り返せば、いずれは恩恵と……」

顔アイコン:怒るタイマ

何年待たせる気じゃ!見捨てるのと変わらんわ!!

みのりねえちゃんは黙っておぬしを見送った。
それがいったいどれほどの事か、忘れたとは言わせんぞ!
おぬしが去り際に何を言ったか、己の胸によくききやがれ!」

顔アイコン:口元に柔らかい笑みを浮かべる仏

人の心は移ろいゆく。永遠などはあり得ません。
別れも、崩壊も、いずれは受け入れる時が来ます。

かつてかみさまも、そうだったでしょう。

あなたも、そうではありませんか?
この地獄において、『実の兄との再会』をまるで喜びはしなかったあなた。
生前、かつては、それを強く望んだのではありませんか?

あなたの願いは、何処へと失せたはず。」

顔アイコン:真剣な顔のタイマ

……かたちを変えただけよ。」

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

手繰る業縁は糸の如く。今なお幾重に絡んで離さぬわ。
この願いは消えもせぬし、終わりもせぬ!!」

アイコン:黒色と空色の墨流し模様の左手

ならばここで、焼き尽くします。」

挿絵:対峙するタイマと仏

両者は睨み合います。

徐々に火の揺れは激しく、天は青く稲光り、火の粉は小ぬか雨のように頬に押し寄せます。
それでも激しさを増すのは見た目だけで、あたたかいものが喉にじっとり張り付くばかりです。

顔アイコン:真剣な顔のシソウヤマ

タイマよ、吠えたところで変わらぬ。
仏は妻の元へは帰らぬ。もう離れたのだ。
そして仏の『子』であるそなたともまた、離れたのだ。」

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

さっきから、子、子、としゃらくせえな!」

顔アイコン:怒るタイマ

『弟』じゃ。

わしは銭田葵が弟。銭田タイマである。
離れてなどやらぬし、みのりねえちゃんからも離してなどやらぬ。

人を勝手に子呼ばわりするでないわ!」

顔アイコン:微笑みの消えた仏

人を勝手に兄呼ばわりしてる奴が何を……」

顔アイコン:怒るタイマ

何か言ったか!?」

顔アイコン:口元に柔らかい笑みを浮かべる仏

いいえ。」

顔アイコン:口元だけ笑顔の仏

ですがあなたは確かに我が『子』だ。
あなたは我が破るべき束縛――ラーフラ――なれば。

死してなお死を認めず、朔の狭間を揺蕩う罪人よ。
あなたばかりが終焉を否定し、一つところに留まろうなど、許されざること。

改めねば、私はあなたの首を落としてでも火を放つほか無い。

どうか、私のように『あたたかな炎』になりなさい。
教えを乞うて、私と運命を共にするのです。」

顔アイコン:怒るタイマ

断る。」

アイコン:青白いスターチスの花

不憫で仕方ありません。
あなたの在り方では、不幸は、悪しき業縁は終わることはない。」

顔アイコン:怒るタイマ

上等じゃ。」

アイコン:青白いキキョウの花

苦悩に満ちた日々を終わらせたいとは思わないのですか。」

顔アイコン:怒るタイマ

思わぬ!!」

顔アイコン:微笑みの消えた仏

問答は、無用と。

……シソウヤマ、話は終わりました。
もうお行きなさい。
どうか、全てが終わったのち……無炉へ導いてください。」

顔アイコン:目を瞑るシソウヤマ

承知した。
後のことは任せるが良い。」

シソウヤマは鬣を揺らすと駆け出し、炎が巻き起こした上昇気流に乗って、泥の上へと昇ってしまいました。
小さくなっていく白銀を、タイマは歯軋りしながら見上げます。

顔アイコン:怒るタイマ

にいちゃんがちっともわからぬ!
何故そこまで無炉になろうとする?

語らぬならわしは永遠に納得せんぞ!!
例えおぬしが炎として散りゆこうが、そのひとかけらを必ず拾い上げてやる。
もろともであるならば、わしの方から引き戻してやる。

解脱などさせてやらぬわ!!」

顔アイコン:微笑みの消えた仏

そこまで言うのなら、本気で抗うことです。
この炎を受けてなお、立っていられるというならば、示してみることです。

あなたの怨念が、それ程の物であるということを。」

顔アイコン:怒るタイマ

ハッ……わしを焚きつける気概はあるってか?

ならばなぜ!己の力で抗おうとせぬ!
この旅路はわしの物ではない。にいちゃんの物じゃろうが!

地獄を丸ごとぶっ壊しでもしてみろよ!
今のにいちゃんには、それだけの力があるかもしれんぞ!」

顔アイコン:微笑みの消えた仏

いいえ。

これ以上この地獄を傷つければ、亡者たちはどうなりますか。
きっと、地獄を見るより酷い目に遭うでしょう。」

顔アイコン:怒るタイマ

あくまで亡者どもを優先するのか!
それでみのりねえちゃんと二度と会えずとも良いってのか!」

挿絵:青い水底の景色。水草が生い茂り、小魚の魚影が見える。天には白い水面から光が差し込んでいる。

堂々巡りの押し問答。
人型は押し黙ります。

いつの間にか、欺瞞の園はすっかり姿を変えていました。

生え揃っていた芝生は、鬱蒼とした水草になって伸び放題です。
青白い蛍だったものは、小さな泡や小魚として踊っています。
頭上では光の網がゆらゆら波打って、煌くレースのカーテンが降りています。

顔アイコン:不安そうなタイマ

……?)

『水底のようだ』

タイマがそう思う頃には、不思議と肌寒さを覚えていました。
暖かったはずの炎は今や、肌に染み渡る涼やかさです。

よく目を凝らせば、確かにそれらは炎や火花でできています。

目を細めて見れば、ただ青く、青く、白んだ色です。

広がる晴天と同じ色。
光差す水底と同じ色。
無炉の炎と同じ色。
兄が持つ髪と同じ色。

影法師に明け渡した"魂"と同じ色。

炎がタイマの耳元を掠めて、前髪からぱきりと霜が落ちました。
タイマはハッとして、側頭部に手を添えます。

一瞬、炎が氷のように冷たく感じたのです。

挿絵:対峙するタイマと仏。仏の口元が崩れ、花束が剥き出しになる。

唐突に、人型の口元が崩れ去りました。
ずっと笑みを湛えていた顔が、風穴となりました。

顔アイコン:顔が崩れ落ちた仏

……どこまでも強情ですね。」

炎がまばらに灯っては消え、灯っては消え、欺瞞の水底が崩れ始めました。

タイマは真正面から涼やかな風を浴びて、しかめっ面で瞬きを。
かと思えば踵に痛みが染み渡って、慌てて飛び跳ねます。いつの間にか、足元が黒く焦げ付いているのです。

顔アイコン:顔が崩れ落ちた仏

この『あたたかな炎』が……

あなたの凍てついた悲しみを溶かし尽くす。
茹だるような憤りを灰にする。」

タイマは息を詰まらせながら周囲を必死に見回します。
突き刺す冷たさから逃げて、粘り付く熱さから逃げて。
『あたたか』とは程遠く、仏の言葉ともちぐはぐです。

顔アイコン:不安げに歯を食いしばるタイマ

にいちゃん!これはいったい……!?」

顔アイコン:顔が崩れ落ちた仏

終わらせましょう。」

顔アイコン:叫ぶタイマの横顔

おい待て!!」

アイコン:青白いハナミズキの花

____________________

   受け継いでくれるものさえあれば、それで。

顔アイコン:怒るタイマ

どういうことじゃにいちゃんッ!!」

挿絵:立ち昇る二本の炎柱

タイマの叫びをかき消すように、炎が立ち昇りました。
うねるように人型を取り囲み、二本の炎柱が天を貫きます。
青白く聳え立つ炎の沙羅双樹、火の粉の花弁が白鶴の群れのように飛び立ちます。

『鶴林』

仏、入滅の刻。

美しい光景とは裏腹に、タイマの指先から背筋にかけて恐ろしい震えが広がりました。
痛みを伴う極寒が、稲妻のような轟音と共に押し寄せその身を引き裂くのです。
悲鳴を挙げた喉は灼熱の煙で焼け付いて、擦れ声すら出ません。首ごと切り落とされたかのようにも錯覚します。
誓いも、決意も、叩いた大口も全て張り倒す暴の炎。
身体の外から内から吹き出して、思わず転がって、火はますます纏わり付き、
息もできず、涙は凍って目も閉じられず、爛れた皮膚の上を溶かし塗るような痛み、傷み、悼み。

それは、"仏の救い"とは程遠く。

顔アイコン:青白い火に巻かれるタイマ

これ、は――)

りぃん……

青き炎とは何だろう。

ある者は、摂氏約1000度を超えた灼熱と言う。
ある者は、魂の具現だとか、怨嗟の怪火と言う。
ある者は、”仏”と言う。

では、悟りとは何だろう。

ある者は、煩悩を薪と喩え、それらを燃やす"炎"を悟りと言う。

とはいえ、こうも語られるだろう。
煩悩を"炎"と喩え、それらを鎮める力を悟り……と。』

アイコン:炎の中、伸ばされた白い手

悟りは"炎"であり、煩悩もまた"炎"で、悟りとは……煩悩である?)

では、この"炎"は何だろう。』

アイコン:崩れ落ちる白い手

……ああ。
よくよく考えずとも、"銭田葵"が燃やす炎など、ひとつしかなかろう。)

その答えは。』

アイコン:炎の向こうに見える白い影

わしの中にのみある。
また、”仏”やシソウヤマにとっての解は、紛れもなく『仏の炎』であるはず。)

描き手が何と言おうと、受け手の思い込みで如何様にも意味を変える。
この炎に解は無く、またいずれも正しい。』

アイコン:瞳の中の星

それが、現実に根差す『絵画』ゆえの……)

お前の思う”炎”の意味をよく覚えておくんだ、凶兆の星。

シソウヤマの瞳に​​浄玻璃鏡がある限り、僕は”仏”になるまで逃げられない。
“仏”になれば、悩みも、望みも、全てが凪いで、ただあたたかな炎となる。

望まなければ、動くことはない。動かなければ、立ちはだかる壁は無い。
そうして手に入れる自由は、求めた物とは程遠いけれど。

まずはそれでいい。

僕は無炉にて待つ。
舞い降りる器を禊ぐ。

新たな器が、現世へ発つのを見届ける。』

つまり、だよ。
まだ挑むチャンスがあるわけだ。

三途の川が地獄の"入口"なら、
無炉は地獄の"出口"ってことだからね!』

挿絵:青い小さな球体

りぃん……

蹲るタイマの眼前に何かが落ちてきました。
歯を食いしばりながら握った物は……

小さな小さな青い球体。

表面には、こう刻まれていたといいます。

『NEVER LET YOU GO』